
※ネタバレしまくりの記事です※
まだ観ていない方はこちらの【ネタバレ無し】の感想へ。
むしろ何も見ず今すぐ映画館へどうぞ!
普段は絵のブログですが、どうしても我慢できず書きました🙇
映画ジョーカーを4回観た考察です。
現実として解釈ができないか考えてみました。
時間の異なる時計や、ラストの13、「夢」の存在など、細かい点もまとめています。
【追記①】一部新たな考察を追記しました(追記と記載している箇所)
【追記②】10回観た上での追加考察や絵をTwitterモーメントにまとめました
ジョーカー考察の前に補足
こちらは既に出ている考察
「映画本編は、ジョーカーによる妄想、もしくはジョークなのではないか」(=妄想説・ジョーク説)に対し、
「現実に起こった物語としても解釈可能では」と考えてみたものです。
妄想説・ジョーク説をご存じない方はまず他の方の考察を見てみてくださいませ。
そしてその前提での鑑賞も楽しいです。
また当記事も監督が言うようにあくまで1つの鑑賞用レンズと捉えて頂ければです。
「コミックスの『バットマン:キリングジョーク』に出てくるジョーカーは『自分の過去を決めるなら、選択式がいい』と言う。この映画でも、どのレンズを通してみるかによって話の事実関係やこの男に対する解釈は変わるはずです。映画が終わっても、全ての答えが得られるわけじゃない。そこが、こういうキャラクターの面白さですよ」
(パンフレット プロダクションノートより)
自身も観る度に解釈が変わっています。
本当にどんな視点でも楽しめる不思議な映画です。
JOKERの考察というか、信じたい結論

ジョーカーを観たときは衝撃が走りました。
特にキャラクターや演技は今まで見た映画の中で最も好きです。
(ホアキンの演技については以下の方の解説でも改めてその凄さを実感しました。
『ジョーカー』の脚本から逸脱する演技法。 )
考察も読み漁り、最初は「ほとんどジョーカーの作り話し」、妄想説・ジョーク説がもっともらしいと思いました。
しかし何度か観るうちに、作り話しだと切り捨てるのは悲しく、現実と信じたくなりました。。
(同じ思いの方も結構多いのでは。)
そしてそれを許してくれたのが@tonka_chiさんの素晴らしい考察!
>アーサーはそういう「あらゆる可能性を否定させない人物」に見えるように、徹底して描かれていたと思うのです
まさに仰る通りで…。
それまで妄想かと落ち込んでいたのですが、そうとは限らず、どう観るかは自由に作られている映画なのだと気が付けました。
だから普通に「現実」と解釈することも許されていると。
そして一旦妄想ということは忘れ、現実の視点で観直し、ようやく腑に落ちました。
結論は以下です
・この物語は本当にジョーカーの成り立ちを描いたもの。妄想やジョークではない
・本編はジョーカーになったアーサー自身による回想。多少の脚色や記憶違いも
・ラストのアーサーは、ジョーカーとなり収容されたアーサー本人
とりあえずこの結論を現実説、と呼びます。
これまでは妄想ではないと思いたくても、例えば「全ての時計が『11時11分』」説だったりも踏まえ飲み込むしかなく…
ですが「別の時間を指す時計」などを見つけ、現実とも解釈できると思えました。(後述)
かといって現実説が正しいとも思わず、固定もしたくありませんが、今はそう信じます。
ここからはまず現実説を信じたくなった経緯を補足します
その後、現実説で生まれる疑問への考察をしています。
最後は、数字の13など、気がついた細かい演出をまとめました。
「現実説」に至った経緯

妄想ではない、と思いたくなった経緯です。
初めて観た後は、ラストのセリフや、歴代のジョーカーと比べた時の違和感から、ジョーク説が正しいと思うようになりました。
※特にTom Kobさんの考察は過去作ファンとしても斬新ですごく面白い解釈です!
ただ次第に妄想だとは観れなくなってきて…
なぜなら観る度にアーサーの苦悩を実感でき、その魅力に吸い寄せられ、1シーンでも狂言の産物だとは思えないのです。
特に番組出演は迫真に迫るものがあり、最後に至る過程でアーサーはようやく生の実感を得たように見えました。
それまでのアーサーは存在を実感できない様子が描かれています。
この結末で少しでもあのアーサーが報われたのなら、無かった話しと思いたくなく…
(ただこの結末も、車上のアーサーは涙を浮かべ、笑顔のメイクで顔を覆い…近くで見れば悲劇かもですが)
なによりホアキンや映像の繊細でリアルな描写。
アーサーの感情の揺れ動きや過程が、ありありと描かれています
やはり実際にアーサーが体験した物語だと考えたくなります。
ジョーカーの作り手の意図は?

制作者のインタビューからも、現実説を信じたいと思いました。
特に監督のこの発言。
「僕たちは「ジョーカーのような人間はこうして現れるのかも」という物語で、コミックスで言う“スーパー・ヴィラン”の男をリアルで愛すべき人間として描きました。だから皆さんには、彼の味方でいてもらえればと思います。これ以上は無理だ、というところまで。
(パンフレット 監督インタビューより)
映画が始まる時点では、彼は有名な犯罪者ではなく、アスファルトに咲いた小さな花。その花に、あなたは水をあげるのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか。どれくらいの間、その花を好きでいられるのか。」
勝手な解釈ですが、
“アーサーの話しをジョークや妄想癖による狂言、と切り捨てず、どこまで向き合えるか。
「理解できない」と言われても、どこまで無視せずにその本音に耳を傾けられるか。”
と試されているのだと思いました。
また本作はジョーカーに染まる“過程”に注力されている事が伺えます。
「僕が惹かれたのは、ジョーカーの物語ではなく、ジョーカーに“なっていく”物語。」
(パンフレット 監督インタビューより)
「全てを現実的に描きたかったので、あらゆる要素を逆に考えました。なぜジョーカーはピエロの顔で、なぜあのメイクを思いついたのか。彼がピエロだったとしたら、なぜその仕事を選んだのか。」
「アーサーからジョーカーへの変身はゆっくりと進み、「ここで変わった」と言える決定的な瞬間はありません。ジョーカーの格好になる場面で「あっ、ジョーカーになった」と思われるかもしれませんが、実際のところ彼の変化は徐々に起きている。」
実際、ジョーカーになる様が見事に表現されています。
インタビューや考察によると例えば以下など
怖いほどの拘りようです
いよいよ妄想説を受け入れ難くなりました。
“過程の物語”にここまで力を入れた作り手が、「実はジョークでした」と言うでしょうか?
オファーを厳選しているホアキンが、妄想落ちの脚本で引き受けるでしょうか?
仮にジョーカーの作り話しだとして、他人の内面をここまで掘り下げた描写ができるでしょうか?
(と思わせる事までジョーカーの狙いかもですが…)
更に以下など、作品に様々な思いやメッセージが込められていることが伺えます。
ならば実話として捉えた方がアーサーの内面やジョーカーを生む社会に思いを巡らせることができ、作り手も本望な気がします。
「『ジョーカー』は政治的であることを意図した作品ではありませんが、挑発的であることは意図しました。なので、この映画がただの「ジョーカーの物語」だと思われてもかまいません。むしろ(政治的な)メッセージを帯びた映画と決めてしまいたくないんです、そういう作品ではないので。」
(パンフレット 監督インタビューより)
「僕たちは、その(=過激な価値観や暴力)奥底に何があるのか、そこに人々を導くものは何かについて議論されることを望みます」
「確かなのは、僕たちは「革命を起こせ」と言いたいのではないということ。けれども、人々が革命を始める理由を考えて欲しいとは思います。」
「あとは映画が皆さんの心に届き、世界中で思いやりが欠如していることについても語ってもらえると嬉しいですね」
「例えば、人が街中で殴られていたら、その人について想像することはできます。自分の父親を知らない、親に拒絶されたという経験がなくとも、そこに想像力を働かせることはできる。僕がきちんと役を演じられていて、皆さんにそんな体験をしてもらえればと願います。」
(パンフレット ホアキンインタビューより)
「僕が多くの役を断ってきた理由の一つは、現実を歪めて映画にしていると感じたから。その考え方は現実の複雑な社会を反映していない。」
「この映画で大切なのは、誰しも、ただの観客でいることが簡単ではなくなること。ジョーカーに共感を覚える時もあれば、応援する時もあり、逆に嫌悪すべき時もある。そこにも簡単な答えがあるべきではないと思います」
またテーマを読み解くのに下記動画も参考になりました!背景を踏まえて考察されています
でも制作者はなぜ、作品のテーマに向き合ってほしいのに「妄想オチ」とも読める演出にしたのでしょうか。
それは、そうすることのメリットが大きいからだと思います。
・(前述の@tonka_chiさんの考察にもあるように)色々な観方ができるのは映画として純粋に楽しいです
・キングオブコメディのオマージュであることが名言されており、同じく妄想の境を曖昧にすることの話題性を期待したのではないでしょうか。結果その目論見通りになっています
(キングオブコメディの考察はこちらが参考になりました
【ネタバレあり】『キングオブコメディ』解説・考察:アメリカという国を包む幻想と現実のカオスを描く)
・ジョーカーへのリスペクトやファンへの配慮から、起源を決定付けないようにする役割もあるかと。監督談では時代設定なども既存ジョーカーと被らないよう配慮されています。
・何よりあえて分かりにくくすることで、観客はどうにか理解しようと介入し、結果的にこの作品に深く思いを巡らせる事になります。(自分もまんまとその術中にはまっています)
そういったことを意図して、非常に丁寧に、現実とも妄想とも取れる作品にしたのではないでしょうか
ジョーカー現実説で生まれる疑問と答え

ここからは、現実説としたときに生まれる疑問への答え?を考えてみました
現実説の再掲です
・この物語は本当にジョーカーの成り立ちを描いたもの。妄想やジョークではない
・本編はジョーカーになったアーサー自身による回想。多少の脚色や記憶違いも
・ラストのアーサーは、ジョーカーとなり収容されたアーサー本人
最後に映っているのはジョーカーなの?
最後のアーサーは(回想以降に収容された)ジョーカーだと考えます。
理由は
①まず主観ですが、演技が明らかにジョーカーだからです。
冒頭の雰囲気と異なっておりジョーカーの凄みを感じます。
②また監督のこの発言もラストがジョーカーだと、示唆しています。
「そして最後にアーカム州立病院の部屋で見せるのが、唯一、彼の心からの笑いなんですよ。」
アーサーは生放送で、これまでは本音を隠していたがもう隠さないと言っています。
つまり心から笑えるということはジョーカーになった以降ではないでしょうか
③更にホアキンのインタビューも手掛かりになります。
“順を追って撮影される“順撮り”という方法ではなかったことで、ホアキンはアーサーを演じている途中でジョーカーに変貌しなくてはならなくなった”
「脚本通りに撮るだけでは、生きた『ジョーカー』はできなかった」ホアキン・フェニックス ロングインタビュー【前編】
「7週目に入り、初めてジョーカーを演じた時に突然ピンとくるものを感じた。いままで僕が演じてきたアーサーは間違いだったってね。(略)あの時先にジョーカーを演じることがなければ、アーサーへの理解は中途半端なもので終わっていたからね」
撮影したのはおそらく「真っ赤なスーツを着ていない」ジョーカーです。
○追記: 下記記事より③の推測は違う事がわかったので訂正します。
なんと「先撮りしたジョーカー」とは生放送のシーンとのこと!(マレー役ロバート・デ・ニーロとの撮影は4日間だけだったようなので、まとめて撮ったのですね。。ホアキン凄い…)
【ネタバレ】『ジョーカー』クライマックス、なぜアーサーは◯◯したか ─ ホアキン・フェニックス、トッド・フィリップス監督が解説
元々は以下理由からアーカムのラストシーンを指していると推測しましたなぜならホアキンの別のインタビューに
「実は序盤のアーサーと、終盤のジョーカーは同じスーツを着ている。色は違うんだけど、それはマークが撮影中、段階的にスーツを染めてくれたんだ。」
とあり、ジョーカーとして相応しい色のスーツがこの時はまだ存在しないはずのためです。
真っ赤なスーツではない、けれどジョーカーと言えるシーンといえばラストだと思いました。
ラストならホアキンが「アーサーの演じ方が間違いだった」と気が付いたシーンという事も納得です。
(となると赤いスーツは何着かあったのかもしれませんね)
○追記:③の根拠が無くなった分、ひとつ補足しておきます。
ソースが見つけられなかったのですが、当初の脚本では以下の流れだったと解説している方がいました。
・最後に群衆に囲まれたアーサーはハサミで口の両端を切り笑顔を作る
・ラストに映るアーサーは口の両端に傷跡が残っている
もしこれが本当なら、ラストのアーサーは収容されたジョーカーだと言える根拠の一つになりますね
(元情報わかる方いたら教えて頂けると幸いです)
本当に最後ジョーカーは逮捕された?
群衆に助け出されたジョーカーが捕まったとは考えにくいかもしれません。
しかし逮捕されたと思える演出がいくつかあります
①最後、机の上にはマイクと録音機があり、ジョーカーは手錠をされています。
重大な犯罪を犯して収容された事が伺えます。
その割に警備が甘く見えるかもしれませんが、時間が経過している可能性や精神病患者としての扱いを考えれば不自然ではありません。ちなみに過去作のジョーカーも看守の隙をついて逃亡することがあったり。
②群衆に囲まれ暗転する際、パトカーのサイレンが近づく音で終わり、意味深にその音だけが強調されています。
劇中の救急車とパトカーは異なる音です。パトカーの方がループが短く、最後に鳴る音はパトカーのものでした。
これは逮捕を示唆した演出ではないでしょうか。
ジョーカーは負傷しており逮捕されても不思議ではありません。
(もしジョーカーの妄想話であれば、なぜこの音を入れたか意図が不明です。再度捕まる必要はなく、無事に「悪のカリスマ誕生」で終わせてよいかと)
※パトカーの音は@Brad_Punkさんのレビューのおかげで気が付けました!
③ラストの髪色は、本編アーサーよりも不自然に黒いです。
本編アーサーは、特に背景が明るい時は明らかに茶髪とわかりますが、ラストのアーサーは黒々とした髪色です。
そのため逮捕された後、緑から黒に染めたのだと考えます。
理由は不明ですが、その気味の悪い見た目をなんとかしろと指示があったのかも。
警察としてはジョーカーが悪の象徴となることを防ぐ意味でも。
ラストのセリフの意味は?アーサーの人物像から考察

本編は現実の回想だとしたとき…
以下のラストのセリフからエンディングまでは何を意味するのでしょうか
<途中、両親が殺されたブルースの像が浮かぶ>
“…何が面白いの?”
「ジョークを思いついて」
“聞かせて?”
「君には理解できないさ」
<邪悪な笑み。怯えるカウンセラー>
<血の足跡をつけ廊下をあるく。逃げる描写>
the End
これといった答えは出せていませんが、こうだったらいいなと妄想してみました。
まず手掛かりとして、アーサーがどんな人物かの理解を深めることで、その意図がわかるかなと思いました。
ただその人物像はあえて曖昧に描かれ、読み解くのが難しいです。
そこでパンフレットをヒントにしました。
「(アーサーは)苦しみだけでなく喜びも感じているし、幸せになるため、人との繋がりや温かさ、愛情を感じるために格闘している」
ホアキンインタビューより
しかし、アーサーがハッピーになることなど一度もなかっただろう。アーサーの願いは、誰でもいいから人と心を通わすこと。そして、社会に認められ、存在価値を実感することだ
(プロダクションノート著者の文章)
「ここで描きたかったテーマのひとつは共感ですが、それ以上に重要だったのが共感の“欠如”でした」「アーサーを取り巻く世界はいたるところで共感に欠けているんです」
プロダクションノート監督発言より
(○追記:下記インタビューもヒントになったので載せました)
監督は「アーサーは自己愛が強い」ということだけは明らかにしている
【ネタバレ】『ジョーカー』クライマックス、なぜアーサーは◯◯したか ─ ホアキン・フェニックス、トッド・フィリップス監督が解説
単純解釈は避けたいですが、つまりアーサーはこの救いの無い世界で、「本当の共感・理解」を渇望し、それが行動原理となっている人物なのかもしれません。
更に悲しいことに最後まで誰からの理解も得られていません
補足です。
最後に暴徒に崇められてはいますが、彼らは本当のアーサーを理解・共感しているわけではありません。都合よく利用しているだけにも見えます。
元々アーサーは心優しい人物でしたし、金持ち殺しをしたかったわけでもありません。
しかし皮肉なことに、尽くすほど突き放され、暴力に訴えて初めて注目を浴びます。
こうして一応存在は実感できたかもしれませんが、本当の理解者を見つけられたわけではないのです
そこでラストのアーサーは引き続き本当の理解を求めているのだと仮定して、ラストをこのように妄想してみました
(ウェイン夫妻の死を聞かされ。経緯回想しつつ、考えが浮かび笑う)
『ジョークを思いついて』
・認められたいとあがいていただけなのに、唯一心を通わせたブルースまで貶めた
・だとしたら本当に喜劇だ
・更にこれからジョーカーとして名を馳せ、両親を殺害したのは僕だと、ブルースの前に現れたらどうなるか
・ブルースなら、僕を止めようと、理解しようと、法を犯してでも追いかけて来てくれるはず
・お互い悪に身を堕とし、ようやく理解を得られるなんて。最高の喜劇だ
『君には理解できないさ』
・これまで誰にだって理解されたことはない
・でももしかしたらあのブルースなら
(この喜劇を演じ始めよう)
The End
…恥ずかしい妄想ですみません。
こう考えるとバットマン&ジョーカーの設定(互いが互いの存在理由に)にも繋がり、感慨深いかなと思い。
▼ラストをこう解釈した理由の補足です
・「ウェイン夫妻の死を聞かされた」としたのはジョーカーはこの場面を見ていないためです
・ジョークはきっと本編と同じく、普通に考えると笑えない話しであるはずです
・最後の笑みから何か悪い考えなのだと思います
・以下描写からアーサーはブルースに特別な思いを抱いたと思います
○劇中でブルースだけが唯一アーサーを奇異の目で見ず向き合ってくれた。(パンフレットの紹介にも「アーサーにも偏見なく接する」とあります。)
○初めて瞳で心を通わせている様子があった。暴力を中断したのもこの時だけ。
→ソフィーに一目惚れする描写からも、アーサーは目で相手の本質を見抜くのかも?
○アーサーと逆で笑わない子供。隈も酷い。境遇は違えど通じるものがある。
○ブルースも同じく両親を失った。しかも父は共通かもしれない。
○アーサーとブルースは似た色の服を着ており(ベージュの上着、白いインナー、下は暗めの色)、似た者同士であることを示唆している。
*この配色も前述の@Brad_Punkさんレビューのおかげで気づきました!
以上、ラストのセリフの考察でした
またエンディングの余談です。
このタイミングでコメディ風の「the End」を出すことによって、『アーカムから逃げる所まで含めてがジョーカー誕生の喜劇』ということを表しているのだと思いました。
(一方、喜劇開始の合図は「JOKER」とコメディ風に出る所ですね。)
もしこれが『可哀そうなアーサーがジョーカーになる喜劇』という作り話なのであれば、その喜劇のエンドは“群衆に囲まれるシーン”であり、the Endはその付近で出すはずだと思いました。
歴代のジョーカーとの食い違いは?
現実説とした場合、アーサーは本物のDCジョーカーであるということになります。
すると歴代のジョーカーとの設定が食い違う点が出てきますが、監督談でこのジョーカーは独立して考えたストーリーであることを明かしています。
年代もあえて繋がらないよう設定されています。
そのため過去作と異なる存在であり、例えばブルースとの年齢差などは気にしなくて良いかと思います。
一部作品しか知らないのですが、これまでも設定の異なるジョーカーが色々と描かれている模様です。
それが許容される事もバットマンが愛されている理由の一つだとか。
詳しくはパンフレット等見て頂ければと思います。
劇中の数々の違和感や矛盾は?
劇中にはおかしな点がいくつかあると思います。
それはこの物語はアーサーのこれまでの過去を回想したものであり、語り手がアーサーだからだと考えます。
俳優ホアキンも
「彼(アーサー)は信頼できない語り手」
と述べている通り、
この物語はアーサー自身による回想のため
・現実と混同した記憶
・自分を可哀そう&かっこよく見せる脚色
が含まれているのだと思います。
それに誰だって多少の記憶違いはありますよね。
回想と考えれば、銃の弾数が不自然な件など、おかしな箇所はスルーできそうです。
ただ一応、説明がつきそうな点を以下にまとめました。
全ての時計が11時11分を指して…いない??
どのシーンも時計の時間が11時11分になっている、つまり時が止まっているから作り話だという説があります。
しかし4回目で気づいたのですが、番組出演した時の時計は「10:40頃」を指していました。
番組後半、カメラが映る下半分に大きく映ります。
そのため時間の概念は存在していることが分かります。
ただほとんどが11時11分を指している事には違いなく、結局その理由は不明なのですが、単にアーサーの回想のため
・順序や時間は覚えてなく、とりあえず回想を始めた11時11分を想起。
・ただ番組だけは夜の10時40分だったと覚えている
といったところと考えます
ちなみに回想を始めた11時11分とは午前中のはず。
アーカムから逃げ出すシーンで廊下に日が差しているためです。
なぜ最後のカウンセラーは、普通に笑っていると気づけたか
最後にカウンセラーは「ジョーカーは発作ではなく普通に笑っている」と把握している様子です。
それゆえに「発作は嘘か、物語自体が作り話し」という説がありますが、そうとも言い切れないと思います。
プロのカウンセラーなら発作によるものかの区別はなんとなくつくかなと。
観ている側も全ての笑いが発作だとは思わなかったはずです。
また収容されてから暫く経ち、その間発作が出ていないために、治ったと扱われている可能性もありえます
最初と最後のカウンセラーが似ている説
最初と最後のカウンセラーが似ているから妄想(?)という説がありますが、
偶然かもしれませんし、もしくはアーサーは単に見た目を覚えてなく、とりあえず今目の前にいる人から似た人を連想したのかもしれません。
関係あるか不明ですが、2人のカウンセラーは同じピアスを付けていました(ゴールドのリング型)。
これもアーサーのいい加減な回想ゆえかなと思いました。
その他に現実感のある描写
その他に「アーサーが現実で体感したことだ」と思えるリアルな描写まとめです
・相談室の変化
冒頭のカウンセラーの部屋、最初は書類が山積みですが、2回目は棚も含めほとんど空です。
サービスが終わる雰囲気が見て取れます
・カラーテレビと白黒テレビ
アーサーの寝室のテレビは白黒、
リビングのテレビはカラー・ビデオデッキありです。
アーサーの生活の様子が伺えます
「ビデオデッキまであるならそんな貧乏ではない」という意見を見ました。
言われてみると内装や洋服含め、そこまで不自由無い生活にも見えます。
それはこの映画が、金銭的貧しさというよりも、心の貧しさがジョーカーを作ったと引き立てたかったからではないでしょうか。
・番組から聞こえる音声
たしかマレーの番組の最後、「生放送で熱狂をお届けします」と流れていました。
生放送であることをアーサーはよく知っていて、だから電話を受けた時にすぐ自殺ジョークを思いついたのかもしれませんね
・ナイトクラブ出演時の不穏な表現
ナイトクラブの出演前、舞台裏で、重い音楽と真っ赤なライトの中で階段を上る演出があります。
やたら不穏なわりに悪いことは起きず不思議だったのですが、もしかすると「コメディアンとして初めて人前に立つ時」の緊張や馬鹿にされる恐怖(+その防衛で漏れ出ているジョーカーの内面) を表しているのかもと思いました。
ソフィーのストーカー時や、二人の家に侵入するときも、なにやら危うい雰囲気で描かれていて恐怖を与える描写かなと思ったのですが、もしかしたらこちらもそういった複雑な心境を示しているのかもしれません
そう考えるとどのシーンも、アーサーの回想ゆえ、(観客を怖がらせる等の目的ではなく、)アーサーのその時々の心情が直接描写されているのかもしれません
以上現実説を信じられそうな根拠としては今はこれくらいです。
もしこの現実説を見てほっとした方だったりがいれば嬉しいです。
妄想説、現実説、その他の解釈…どの視点で楽しむかは観る方の自由です。
むしろ、そういったこと抜きに純粋に鑑賞するのが一番楽しい気もします😅
とか言いつつ、この先は、ウェインの記憶は夢、13の意味、など関係なさそうな細かい考察を書いています。
長いので気になる方だけどうぞ!
ジョーカーの細かい考察
最後に映る「13」の数字

エンディングの白い廊下の右壁に「13」と書かれていました。
この意味はよくわかりませんが、数字がカウントダウンしている説に関連するのかなと思います。
jokerかつ13となるとトランプカードを彷彿しますよね。
(1はどこか見つけられていませんが)
おそらくトランプの数字を示していて、1が終わったら次は13、そしてまたそこから新たな物語のカウントダウンが始まる…的な暗示なのかなーと思いました
だとしたら0は出てこないかも
ちなみにトランプの数字の合計は1年間の日数を表しているそう。
時が流れを意識させるためにもトランプの数字を使ったのでしょうか
○追記:
もし映像中に本当に「2・1」がハッキリ数字として表示されていないなら、終盤を曖昧にするためにあえてスキップしているのかもしれませんね。
群衆に囲まれるシーンで1が映ったらそれが物語の最後だとわかってしまうので。
○さらに追記:
@yymame33さんに「1」の補足を頂きました!
“ 後ろに映っているお店の名前が「Ace In The Hole」だそうです。”
ヴィラン誕生までのカウントダウン? 映画「ジョーカー」 #103
父ウェインに殴られた記憶は「夢」?
父ウェインに殴られたシーンがありますが、あれは夢の中で見た出来事であり、現実ではないと考えています。
以下の方々の考察からそう思いました。
まず@happy_chikachanさんのこのツイート。
着ている服装に違和感という内容です。
観返すとたしかに中のシャツが異なっていました。凄い着眼点です…
おかげでウェインのシーンに違和感を感じました。
ただそれ以上はわからず、前述のTom Kobさんが更に以下の考察をして下さいました。(感謝です!)
fusetter(ふせったー)
納得かつ鳥肌な考察ですm(_ _)m
>①トーマス・ウェインに会ってアーサーが殴られるシーンは妄想の可能性が高いと私は考えています。
>また気になったのは建物に入った以降、トーマス・ウェイン以外の人物は彼に一瞥も与えませんでした。
について、まさにその通りでした。
特にトイレの男性は外に出る時、アーサーとぶつかるほど近いのに避けず、目もくれません。
このシーンは現実ではないと思えます。
ちなみにウェインに会うシーンの流れは以下です
・ベッドで枕を抱き、眠りにつけない様子(赤いセーター)
・テレビ(翌日?デモの報道)を食い入るように観る
・デモ現場へ。(緑のシャツに変化)
・誰一人としてアーサーを見ない
・父ウェインに殴られた後、顔を伏せる
・同じポーズのまま部屋の洗面台に(上半身裸)
・冷蔵庫に引きこもる
そして個人的には、ウェインのシーンは妄想というより「悪夢を見た」という結論に至りました。
それを意識半ばだったアーサーは現実と混同してしまったのだと。
以下、夢だと思った理由です
①これまでの妄想は幸せな妄想でした。妄想で幸せに浸り自分を守っているのかも。
一方父ウェインの記憶は、妄想する必要のない悲しい内容です。
②記事によると、冷蔵庫に入ったのは不眠症を表現するアドリブらしいです
『ジョーカー』、物議を醸したあの「難解シーン」はなんとアドリブだった!
ここで不眠症を示すということは、一連のシーンは睡眠に関連する事だと思いました。
うとうとしつつテレビの音(デモのニュースの後はモダンタイムスの放送かも?)で悪夢を見て、夢か現実もわからないまま(顔がテレビにぶつかったりしたのを殴られたと勘違いし)顔を伏せる。そして寝るために冷蔵庫に引きこもったのではないでしょうか。
夢だとすると、アーカムに母のカルテがある情報はどこで知ったのと思いますが、母から無理やり聞くか、自分も世話になっていたアーカムに問い合わせるなど、方法はありそうです。
(もしくは後述のように時系列がごっちゃなだけとか。)
ちなみに夢ともとれる演出にしたのはおそらく、このウェインが現実だとすると「バットマンの父は非情で暴力的」となり、ファンが悲しむからだと思いました。
※また偶然かもしれませんが、パンフレットのあらすじでも、なぜかウェインに会った事が省かれています。その前後は順を追って説明されているのに。。
母殺しの時系列が違う?
またパンフレットのあらすじには、映画と時系列が異なる一文が。
「アーカム州立病院で母の記録を調べる(略)。彼は、母をクッションで窒息死させ、恋人ソフィーに助けを求める。しかし彼女はアーサーを知らなかった」
一方映像では
・アーカム(赤い服)→ソフィーの家(緑のインナー)→母殺し(赤い服)
という流れです。
公式パンフレット、しかも最初のページで、誤解を与える文章を載せるでしょうか?
やはり語り手はアーサーのため、映像の方は時系列がおかしいのかもしれませんね。
そして多少時系列が変でも、アーサーは「僕はそういう順序でジョーカーに堕ちた」と思っているのであれば、ありのままに受け止めるのが正しい観方なのかなとも思います。
ジョークがウケたのは妄想かも…
また同じくパンフのあらすじに、恐ろしい一文が…
「アーサーはナイトクラブに出演するが、客はまるで無反応だった」
それはおかしいですよね。
出演の最後、確かに観客の笑い声と拍手が聴こえ、アーサーは誇らしげでした。
拍手が始まる瞬間からは温かいBGMが流れていてソフィーのデート(妄想)に繋がります。
が、それで気づいたのですが…
BGMが変わる瞬間が妄想の合図かもですね。。
音が鳴るタイミング的にはぴったりでした。悲しいですが…
その場合、マレーの番組で放送される時の笑い声も、ナイトクラブの客ではなく番組の観客かもしれません。
アーサーの殺人の動機

根拠のない深読みですが、殺人の動機が曖昧なので整理してみました。
・最初の証券マン3人を殺した理由
前提としてアーサーは我慢はしつつも、暴力的な衝動を秘めている人だと思います。
次第に暴力描写もエスカレートしていきます(頭突き・ゴミを蹴る・タイムカードをパンチ)。
一番最初に襲われるシーンでは我慢していましたが、クビになったり銃を持たされたことでついにその衝動が抑えられなくなり。
3人は見た通り(長年耐えた周囲への恨みも含め)やり返したい衝動で殺してしまったのでしょう。
(音痴だから殺したというのも嘘ではないかも)
その後すっきりしたと言っており、殺人に抵抗が無くなった瞬間だと思います
・元同僚ランドルを殺した理由
また番組出演時に「社会に見捨てられた男を欺くとどうなるか」と言っている通り、アーサーは特に「裏切り」に耐えられないタイプなのかもしれません。
ランドル(パンフによると深い考えはないらしい)が銃をくれた時は、どちらかというと仲間だと思っていたはずです。
ただその後裏切られたことで鬱憤が溜まります。
更に優しいゲイリーをバカにする事にもムカついていたのではないでしょうか(冒頭でも笑ってはいましたが内心よく思ってなさそうでしたよね)。
ランドルは家に来た時もゲイリーをからかっていて、その瞬間に刺されました。
雰囲気的にどちらにせよ殺すつもりだったのかもしれませんが。
ブザーが鳴った時の表情を見るに、テンション上げてる途中で邪魔が入ったのが気に食わなくて殺したとか。
もしくは殺人後のノリノリの足取り的に、ジョーカーとなる前の単なる景気づけかもしれません
・母を殺した理由
もちろんカルテの内容がきっかけだと思いますが、それまでも母への不満は募っていたのではないでしょうか。
特にお風呂のシーンでコメディアンになりたいと話した時、母の発した「あなたに人を笑わせられる…?」というセリフ。 それを言われたアーサーは静止。
母に悪気はなかったとしても、今ではなんと惨いんだろうと思います。
アーサーが悲しみを隠して笑顔を作り、そして人を笑わせようとしているのは、母の言いつけを守ってやっていることだからです。
父に殴られたり辛い時でも笑って、辛すぎてその記憶は消して、母にはハッピーちゃんと呼ばれていたアーサー。
そんな母に対し、父の事を秘密にされていたことや、カルテで虐待の事実を知ったことで、裏切られたという思いがいよいよ爆発したのではないでしょうか。
例えば銃を手に入れて最初にしたのは(前述のYoutube解説で気が付きましたが)母が普段座るソファに銃を向ける事です。内心恨んでいたのかもしれません。
(あと分かっていないのが、母殺しの前に意味深に放った「ペニー・フレック…嫌な名前だ」という言葉の意図です。
単に母を嫌悪してなのか、それとも名前自体なにか気に食わないものがあるのか。心当たりあれば教えて頂けると嬉しいです
・マレーを殺した理由
ここは見たままの動機だと思います。
(笑い者にされたショックもあった中)マレーと話した結果、「元々ある暴力衝動」と、「大好きなマレーにさえ裏切られた」という気持ちも相まって、自殺ではなく殺人に切り替えたのかなと思いました。
この時にはもうほとんど殺人に対して抵抗がないはず。
○追記1:前述の監督談でも、アーサーは土壇場で心変わりして殺人に切り替えたとありました
【ネタバレ】『ジョーカー』クライマックス、なぜアーサーは◯◯したか ─ ホアキン・フェニックス、トッド・フィリップス監督が解説
○追記2:「別にマレーはアーサーを冷やかしていないよね?」という疑問の声を見かけました。(劇中のロバート・デ・ニーロは優しいおじさまにも見えるので確かにそう思う方もいるのかも)
ただ明らかに馬鹿にしている描写があるので、アーサーの言う通りマレーは笑い者にするためにアーサーを呼んだと考えます
1.まず最初にアーサーが放送されたとき。小馬鹿にする表情で笑いを取っており、アーサーがそれに怒っている事もわかります。
(また余談ですがこの場面はアーサーの妄想ではないと思います。悲しいシーンなので。)
2.アーサーが生放送に入場する前、マレーが博士に言った台詞。
「次のゲストも診察する必要がある。彼は相当の変わり者」と言って観客が笑います
(マレーはコメディアンとして当然の振る舞いをしただけかもしれません。ですがマレーが好きだったアーサーにとっては辛かったのかなと思います。)
・追記:ソフィーの最後
ソフィー親子は最後殺されたのではと疑っている方がいましたが、それは公式に否定されています
【ネタバレ】『ジョーカー』アーサーは◯◯◯◯を◯◯◯のか ─ 描かれざる事実、スタッフが明かす
(個人的にもアーサーがあの文脈で殺すとは思えません)
一場面だけアーカムの壁が黄色い理由
アーカム精神病院が出てる場面は4回ありますが、②だけ壁の色が黄色です。
- ①頭を打ち付ける場面(回想):白
- ②カルテを奪い取る場面(事実):黄色
- ③アーカムにいる母(想像):白
- ④ラストシーン(現在):白
これは謎ですが、もしかして少し前までは②のように壁は黄色かったのではないでしょうか。
後に白く塗られ、それを④で収容されたことで知ったのかなと。
それなら塗り立てのように真っ白なのも納得がいきます
②は事実の振り返りにつき黄色。
そして①と③は、本編の中での更にもう一段下の回想(想像)のため、今現在認識している色「白」で想起したのかなと思いました。
年代の設定は1981年
これは余談ですがパンフレットによると1981年設定らしく、最後にウェイン夫妻が見た映画も実際に同年公開のものだそうです。
ゴッサムシティと言いつつ色々と現実世界とリンクさせている意図は、果たして何でしょうね。
調べたところ、冒頭ラジオで流れる「10月15日木曜日」も1981年のカレンダーに合致します。
ちなみに他に日付が出てくるシーンは特に無さそうでした。
(おそらく新聞の日付欄なども見えないようになっている?)
あとマレーの番組は木曜日の夜に放送ということくらいです。
色使いのこだわりが凄い
最後は考察ではないのですが。ジョーカーはどのシーンも美しい映像だなと思います。
理由の一つとしては、どの画面も配色が徹底的に拘られているからでは、と思いました。
例えばアーサーの部屋の壁、時折走るバス、ピエロの控室のロッカー、子供と歌っている院内のキャビネット、壁の落書き、ランプの色、etc…、注意してみるととにかくほぼ全ての場面で、映画の統一感が図られています。
ジョーカーの衣装を彷彿させる色が丁寧に使用されています。
終盤にかけては鮮やかな色の配分が多くなっていきます。
これらもアーサーの回想による脚色なら、アーサーの脳内はわりとカラフルなのかも。
ちなみにこれは時代設定に合わせた色使いだそう。
しかもほとんどスタジオではなくロケ地で撮影しているとのこと。
素晴らしいこだわりですね。

最後:Youtubeメイキングなど
以上となりますが、是非パンフレットやインタビューも見てみて下さい。
もう一度観に行きたくなること間違いなしです!
最後にこの記事を気に入って下さった方へ追記です
① Youtubeでも妄想だと悲しんでいる方がいたので動画版も出しました💦
評価やシェアで、アーサー仲間に広めて頂けたら幸いです…!😊
② Twitter (@pigmo_)ではこれからもジョーカーの絵を載せます
ホアジョ好きな方は考察リツイートやフォロー頂けたら嬉しいです😊
Youtubeは今なら最初のチャンネル登録者になれます笑
以上、駄文で恐れ入りますが、ここまでお読み頂きありがとうございました!😊
追記:↓素敵なコメントを色々と頂き感謝です🙏💦なんとか書ききって良かったと思えました!
コメント
wikiより「1940年の”Batman #1″では、ジョーカーは市長のヘンリー・クラリッジ含む、ゴッサムの著名な市民の3人を殺すことを発表する。」
・最初の証券マン3人を殺した理由ってのはこれへのオマージュじゃないでしょうか?
コメントありがとうございます、そういう元ネタがあるのですね!
あらゆるシーンにそういったオマージュが含まれているのかもですね。
(そして元ネタを知らなくとも楽しめるようにもなっているなんて本当凄いですよね…
余談ですが個人的には3人のキャスティングも最高だなと思います!
短いシーンにも関わらずそれぞれのキャラクター性が伝わってきますよね
興味深い情報ありがとうございました😊
僕も全く同じように思いましたね。 意図していないとしても暴力を誘発したり、かなりネガティブな気持ちになる映画なので、最後は妄想オチに匂わせて、実はソフィーと最初のマレーフランクリンショー 以外映画の中では真実だと思いますね。 結局それが答えだと思います。時計の見解も全く同じで、妄想か真実か迷わせるためのダミーにすぎないのでしょう、
always remember , that’s …(life) マレーフランクリンショー の最後、テレビの視聴者(=映画の観客を意図したのでしょう)に訴えた言葉です。様々な社会問題を取り扱い、様々な悪役が登場しました。 しかし、結局それらもアーサーという一人の人間の引き立て役として映画では描かれていました。 いつも覚えておけ これが人生だ チャップリンの作品の名言から引用したのか、僕の人生は喜劇だ なんて言ってましたが、悲しいですが、結局 人生とは悲劇、今の社会への諦めを描いた作品だったと思います。
コメントありがとうございます!真実と見ている方もいらっしゃって安心しました。。
that’s life の解釈はなるほどです…!
冒頭から全て社会へ向けられた映画として観ても感慨深いものがありますね。
一方そういったメッセージ性抜きにして観ても引き込まれてしまう魔力を、この映画には感じています。。
5回目は頭を空にして観てみたのですがそれでもやはりずっしりきますね;
また新しい考察を知れて嬉しいです。ありがとうございました!
考察の追記等を読む中で一つ気になる点があったので書き込みます。
>>アーサーの言う通りマレーは笑い者にするためにアーサーを呼んだと考えます
という記載があるのですが、マレーフランクリンは善意でアーサーを番組に出演させたのだと思うのです。
映画の前半部分で、ランドルが銃を渡したのは、あくまでアーサーが少年に襲われたのをみかねて、善意で渡したものでした。しかし、それがアーサーの殺人事件を引き起こしました。
作品の中では、他人の善意が裏を返してアーサーにとっての悪夢を引き起こすような、そんな描かれ方がされているのではないのでしょうか(皮肉ですが…)。
マレーフランクリンという人物は社会の成功者であり、コメディアンとして大成している人物であり、大人として描かれているように感じます。その人物のメイン番組がマレーフランクリンショーという番組、その番組にわざわざ障害を持っている人物、しかも街中でピエロ騒ぎが起こっていて、殺人事件までも起こったのにもかかわらず、アーサーの出演(ピエロメイク)を寛容に許しました。そんな人物が、わざわざリスク(ピエロの問題児を出演)を犯して自分の番組を傷つけるようなことをするでしょうか、というのが論点だと思います。 思うに、ナイトクラブでの可哀想なアーサーを見て同情をした、この映画の中では最も、誠実な人物として描かれているように思います。 大人の世界の話なのですが、そんな気がしてなりません…
>>1.まず最初にアーサーが放送されたとき。小馬鹿にする表情で笑いを取っており、アーサーがそれに怒っている事もわかります。
(また余談ですがこの場面はアーサーの妄想ではないと思います。悲しいシーンなので。)
ということですが、監督のインタビューでは、彼の性格を重視したと、発言が多々見られます。 それを踏まえると、ナイトクラブでの過去のアーサー(母親が生きている頃の)を客観視することで、 思うところがあったんじゃないでしょうか… 別に怒っているわけではない気がします。
>>2.アーサーが生放送に入場する前、マレーが博士に言った台詞。
「次のゲストも診察する必要がある。彼は相当の変わり者」と言って観客が笑います
(マレーはコメディアンとして当然の振る舞いをしただけかもしれません。ですがマレーが好きだったアーサーにとっては辛かったのかなと思います。)
ということなのですが、アーサーもそこは、マレーの演出ということを理解しているのではないかと考えます。
結局アーサーがマレーを撃ってしまったのは、殺人を犯してしまった、自暴自棄になったアーサーの心からの叫びを、まるで否定するかの如く発言してしまったから(怒っている人を煽ったりしたらどうなるかということです)、だから殺してしまったのではないですか… そこが彼の性格によるものだと、監督は言ってるのではないのでしょうか。
これはあくまで個人的な見解で、セリフ通りや描写から読み取れるものだけでなく、推測も含みますが、 少なくともマレーは悪者としては描かれていないように思いますので、コメントいたします。
この記事は私が見てきた中でもおそらく映画の真相に最も近いところまで考察しているものだと思いますので、どうか不快にならないでください、だからこそ 、こんな長いコメントを投稿させていただきます。申し訳ないです。
ご返信遅くなりすみません!いえいえ、むしろジョーカーの色んな解釈を知りたいのでコメント頂き大変嬉しいです^o^
先日7回目を観てきたのですが(もはや中毒…)、たしかにマレーはそういう風にも観れると思いました!そうだとしたらまた違った楽しみ方ができますね。
また改めて思いましたが、マレーに限らず親や同僚なども最低限の描写しかないので行動理由を推測するのがなかなか難しいですね…!ほんとにいつまでも解釈の楽しみが尽きない映画ですね😊
(観る人によってここまで感想が変わる映画も珍しい…!)
その楽しさにまた気づかせて頂きありがとうございました!追記までお読み頂き感謝です😊
元同僚ランドルを殺した理由についてですが、時系列は不明なのですが本編ではカットされたシーンで、ランドルと口論になるシーンがあったようです。(撮影中に一般の人が撮った写真がリークとして出回っていました。)
もしかしたら、その口論が原因で殺すに至ったのかも?
他にも、本編ではカットされたシーンがいくつかあるようですね。
ブルーレイが発売されたらカットされたシーンもすべて収録されると良いですね。
コメントありがとうございます、ご返信遅くなりすみませんっm(__)m
その動画自分も見ました!たしかにカットシーンも推測の材料になりそうですね😊
(公式からも定期的に撮影秘話や写真が公開されてますね。もうそのせいでジョーカーのことが延々と気になっちゃいます…!w)
ほんと円盤に何もかも全部収録してほしいです…!
考察のためというより単にアーサーを沢山見たいからですが笑。
興味深いコメントありがとうございました^o^